ワールドワイド酒クズの海外酒場放浪記

ワールドワイド酒クズの海外酒場放浪記

ボランティアって何なの?死ぬの?いや、キンミヤ焼酎のことなんだよって話

アラサーこじらせ女子です。趣味はお酒と、お酒と、あとお酒です。赤提灯の生レモンサワー1杯300円みたいな下北沢の居酒屋で隣の席のおじさんと仲良くなって記憶なくしてゴールデン街でぶっ倒れるのが生き甲斐です。サッカーが趣味でミスチル聞いて「やべー泣ける」と言いながらワンピースを読んでさらに涙するような男子がこの世から駆逐されることだけをひたすらに祈りながら今日も安い酒を飲みます。

 

そんな私はボランティアというものに対して懐疑的でした。

 

だって、ボランティアなんて、偽善じゃん。

 

 

大学時代に開発経済学の授業を取ったことがありました。そこで私が思ったのは、世界における貧困地域を本当に救うためには、経済学だけではなくまずはその国の歴史、宗教観、文化、マクロ視点からの経済とミクロ視点での経済、社会学人間学…などなど本当に広く深い知識が必要なんだなということ。

そして安易な短期的視点での開発は、長期的にその国と世界全体を見たときに必ずしもその国にとって良い結果を引き起こすだけではないということ。

 

大学にはボランティアサークルもたくさんありました。でも私は知ってしまった。本当の意味でその国を豊かにすることの難しさを。

そして、ある国を貧困と定義付けることも、貧困を救うという名目で自国の経済発展を狙うことも、すべて裕福な国による資本主義の歯車の一つであるということを。

 

そこで私は思考停止してしまった。

ボランティアって、裕福な国の暇人による自己満の偽善行為なんじゃん。と。

 

その後私は会社で馬車馬のごとく働いていましたが、

OG訪問や一次面接などで大学生と話す機会が割とありました。

彼らはしきりに言いました。

 

「大学時代はボランティアに打ち込みー…」

 

大学生でボランティアする人ってたくさんいて、みんなそれをめずらしいことのように面接で語るけど、よく聞いてみると中身がなくて。数年経つと私は、ボランティアという単語を聞くと、あーまたかと。ボランティアしました詐欺だろと。思うようになってしまったのでした。

 

そう、またしても思考停止。

ボランティアしました!っていうことによる自分ブランディングがしたいやつの自己満なんだろと。

 

そんなふうにこじらせながら生きてきて、気づけばアラサー。

 

そんな私は東洋最悪と名高いマニラの有名なスラム街、トンド地区を訪れたのでした。

 

もちろん、何かしてあげたいとかそういう素晴らしい動機ではなくて、純粋な好奇心。なんならSNSでショッキングな写真をシェアしたい欲だってあった。

ちなみにその記事はこちら。

snack-hitomi.hatenablog.com

 

トンド地区は東洋最貧のスラム地区と呼ばれ、フィリピン人の警察ですら一人では近付きたがらない、非常に危険なエリアです。かつてはここにスモーキーマウンテンと呼ばれる、世界的に有名なゴミ山のスラム街もありました。人々はゴミの山の中で、ゴミから廃品を見つけ出して売り、残飯を再調理して食べ、暮らしています。

 

トンド地区に行った私は、頭をがぁんと殴られたような衝撃を受け、帰国してからもモヤモヤとした気持ちが晴れることがありませんでした。

 

複雑な感情は、時が経っても自分の中で消化できませんでした。

 

それは、スラム街の貧困が思っていたより酷かったからなのか、パグパグと呼ばれる残飯を再調理して食べる光景に唖然としたからなのか、ゴミの悪臭があまりにも酷かったからなのか。

 

いや、多分、スラム街の住民たちが、そのような過酷な状況下にあるにもかかわらず、強く、逞しく、夢を持ち、明るく、楽しそうに生きていたからかもしれない。

 

私はスラム街へ行ったのに、彼らから生きるポジティブなエネルギーをもらったからかもしれない。

 

 

私は思いました。

 

 

少なくても、私が関わった人だけでも、これから先の人生で辛いことがないように。

 

彼らのために私が手伝えることがあるのなら、一緒になって頑張りたい。

 

強く生きる子どもたちが持っている夢が叶うように、私に出来ることがあるなら何かをしたい。

 

生まれてきた場所がたまたまスラムだったというだけで、何の罪もない子どもたちが不幸になるようなことがあってはいけない。

 

 

今まで私はボランティアというものをすごく捻くれて受け止めていたようです。

知識として知ってしまったら、経験として見てしまったら、手を差し伸べたくなる。

偽善とか、海に石を投げるような意味のない行為とか、もうそういうの本当にどうでもよくて、ただ助けたい、っていう純粋な気持ちなのかもしれないなと。

 

電車の中でおばあちゃんが重い荷物を持って立っていたら、席譲りますよね。

その時考えることって、電車にもっと座席作れよなー鉄道会社は。とか、年配のご老人が在宅したままで用が足りるようにネットショップの会社もっと頑張れよなとか、だいたい老人が若者でぎゅうぎゅうの電車に乗らなければならない日本はおかしいだろ政府なんとかしろよとか、そういうことじゃないですよね。

自分の席を譲れば、少なくても、そのおばあちゃんは目的地までの数分、体を休めることができるんです。

 

それでいいんじゃないかと。

 

問題の根本から変えなければ結果的に物事の解決には至らない。

それはやっぱり一理あると思います。

でもそれでも、短期的に手を差し伸べる人が増えれば少しずつ変わっていくものもあるかもしれないし、手を差し伸べまくった人にしか見えない結論もあると思います。

 

そして何より、手を差し伸べられた人は、ほんの少しでも幸せになるかもしれない。

 

偽善であろうが、自己満であろうが、社会から見たらちっぽけすぎることだろうが、相手が少しでも喜んでくれるなら、それでいいんじゃないのかなあ。そう思いました。

 

まあそんなこと普通の人は知っているのかもしれないですけどね。

私は気付かず生きていました。気付かず安い酒を飲んで生きてました。

 

居酒屋で隣のおじさんが話しかけてきたとき、私は満面の笑みで話し続けることにしてるんです。だって、知らない人に話しかけるのって勇気要りません?自分が話しかけたことで相手が嫌な思いしたらどうしよってビクビクしません?なにこいつ酔っ払っててキモ…って冷たい目で見られたらどーしよって泣きそうになりません?

それでも話しかけてきてくれたんだから、後悔してもらいたくないんです。

今日は楽しい子と楽しく酒が飲めていい日だったなー、明日も頑張ろう。そう思ってもらいたいだけなんです。これは私のモットー。

 

それと同じだなと思ったんです。

 

私が関わった人は、少しでもいいから幸せにしたい。

 

なるほど、ボランティアってキンミヤ焼酎みたいなもんなんだな!

 

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やらないと見えてこないことが必ずある。

 

そう信じて、早速ボランティアしてきましたー!!行動早いぜー!!!次回へ続く!!